TOKYO 2020を健康・生命のリスクから考える
五輪組織委・橋本会長らが記者会見というニュースを見て、本当に3日後には開催されちゃうの?って気持ちを強くしたまま、それでも始まりそうな東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会。
あまりに多くの矛盾と問題を抱えていて、もはや何を問題にすればよいのかわからないけれど、もう一度、TOKYO 2020の問題をシンプルに健康・生命へのリスクに絞って考えてみたい。
競技者のリスク
世界中から来たアスリートは、「自身が新型コロナウイルス感染症を持ち込むリスク」「移動の過程で感染するリスク」「日本で滞在中に感染するリスク」の全てに晒されています。
不運にも新型コロナウイルスに感染した選手は、家族や住み慣れた環境から隔絶された地で生命や健康や選手生命の危険と闘うことになります。
開催国のリスク
ワクチン摂取が進んでいない日本は新型コロナウイルス感染症に対して脆弱です。
海外からの変異株を含む新型コロナウイルスの持ち込み、日本の大会スタッフを介した選手たちへの感染拡大、国内での移動の活発化や自粛生活の放棄(無理もない)による感染拡大、感染者の増加による医療崩壊、などおよそ思い浮かぶすべてのリスクを抱えることになります。
世界へのリスク
感染拡大のハブとなるリスクを危惧します。
アスリートや競技関係者、報道関係者など各国から集まる人々を集めたTOKYO 2020がハブとなり、世界に変異株を配布する可能性があります。
考えたくはありませんが、オリンピックの持つ多様性が東京で新たな変異株を育む土壌となる可能性もあります。
中止基準を持たない大会
以前のエントリーで、このようなリスクを考えた上でオリンピックの開催を本気で考えているなら、中止を判断するプロセスを明確に説明することが何より大事と書きました。
運動会でもお祭りでも、最近のイベントには「こうなったら中止」という大まかな基準があるものです。
しかし、日本政府にはいまだに国内の新型コロナウイルス感染への戦略的対策はなく、オリンピック開催期間中にすべての競技活動を凍結するトリガーも決まっていません。
どのような危機的状況になろうとも、すべてが手遅れとなり壊滅するまで日本政府や東京都は「事態の把握に努め、今後の対応を検討」しつづけるでしょう。
選手村は陸のダイアモンド・プリンセス号となってしまうのではないか。
いま、ぼくはそんな予感にも似た悲惨な想像を拭い去ることが出来ないでいます。
IOCとカルト商法
話は変わりますが、消費者法ニュースの「カルト」とは何かという記事で以下のような記載を見つけました。
2 カルトの害悪
カルトの害悪には以下のようなものがあります。
信教や思想信条の自由を侵害する
カルトの価値観から抜け出せなくなり、自律的な意思決定ができなくなる
構成員や一般の人々に対して献金等の名目で経済的収奪を行う
構成員に対して暴力や性的虐待を行う
病気が治るなどと称して生命や身体を害する
集団自殺や犯罪行為に及ぶ
カルト集団のために奉仕を強制される
児童の虐待やネグレクト、家族関係の断絶
このような害悪を整理すると、次のように言うことができます。
カルトが①構成員の思想信条の自由や信教の自由を侵害し、その結果②構成員の自律的な思考や行動が損なわれることになり、破滅的な損害を被ることになる。
被害に遭う対象を国に置き換えると、なるほどIOCとはオリンピックというカルト商法を行う国際的詐欺集団と変わらないのかもと思います。
オリンピック中止が今の最善の選択
詐欺にあってる真っ最中のような日本は、いまからでもすべての損失をサンクコストとあきらめて、即時中止することだけがこれからの被害を最小にする道でしょう。
東京オリンピックはいまや悪夢のようだ。
そこに誇るべき意義はなにもなく、商業主義があるのみだ。
少なくともぼくはもう2度とオリンピックに感動しない。