かえるくんのおうちラボ blog

おうちでぼんやりと思うこと

東日本大震災 ライ麦畑でつかまえて 続けていくこと 変わること

 

10年前の3.11

多くの人がそうであるように、ぼくにとっても今日という日は東日本大震災から10年たった最初の日です。

ぼくの震災のあった頃の記憶は、ツイッターの記憶と重なっています。2011年2月18日にぼくは初めてのツイートをして、震災の頃はおっかなびっくり文具のことなどをつぶやいていた頃だったのです。

仕事が終わって震災後の最初のツイートはただ情報源を呟くのが精一杯でした。
そのあともしばらくは避難に役立ちそうな情報をつぶやいていたのですが、
何を思ったのか、ヨーロッパの癌の学会であるESMOからのメールより代表のDavid J. Kerrの言葉を一部引用していました。

 "Catcher in the Rye
Perhaps we cannot be catchers in the rye, lonely and heroic, patrolling the cliff's edge, but perhaps that is not what is required of us now.
I believe, have always believed, that by working together, using science to inform our decisions, and considering the needs of all, we have the possibility to shape our future for the better. "
By David J. Kerr

ライ麦畑でつかまえて
私たちはたぶん、孤独に英雄的に崖っぷちをパトロールするライ麦畑の捕獲者にはなれやしない。けれど、それは今の私たちに求めらえれていることでもないのだろう。
私は、これまでもずっと信じてきたように、共に協力し、科学を用いて意思決定を行い、すべてのニーズを考慮することで、私たちの未来をより良いものにできる可能性があると信じている。
David J. Kerr

当時のツイートを繋げて、和訳をつけてみました。

壊れていく日本が見えた

その後も驚くほどたくさんのツイートをしていました。
福島第一原発について冷却水の水位や容器内の圧力の報道から炉心は溶けたものとして放射性物質による汚染を避けるための行動をする方が良いと呟いて、不安を煽るなと初めてネットでひどい言葉を投げつけられるという洗礼を受けたりもしていました。

結局その頃には、「原子力緊急事態」に該当するという判断は原子力安全・保安院からの「官邸の了解が得られていない」という指示で公表は見送られ、放射能拡散予測図や建屋の図面は記者団からの公開要求に応じないことになっていたり、だれもが本当の情報が何か確信が持てなくなっていたのです。

重大な問題は公表し解決するより、隠して先送りにすることに努力が払われているというおかしくなっていく日本が見えた時でした。

10年目の3.11 続けていくこと 変わること

東北を訪れることが出来ない今は、残念ながら実際の復興の様子を感じることはできません。それでも、少しずつ戻ってきた事も、決して元の通りにはならない事もあって、これからもぼくらは自分に何ができるのか考え続けていくんだろうと感じています。

10年がたち、みちのく未来基金は支援する総数1400名の震災遺児への今後の給付予定額に資金残額が達し3月11日を待たず2月20日に寄付の受付を終了したそうです。

チャリティホワイトやジャパンプラットフォームからはこれまでの寄付額や活動の報告が届きました。きっと僕の知らないたくさんの基金があり、たくさんの悲しい出来事も、苦しい現実も、優しいエピソードも、暖かい支援もずっと続いています。

 

けれどあの時に日本に見えたほころびは、10年間ずっと壊れ続けているように感じます。

ライ麦畑の捕獲者がたくさんいるのはとてもいい。
けれど本当に日本が立ち直り始めるのは、ぼくたちが共に協力し、科学を用いて意思決定を行い、すべてのニーズに思いを馳せるようになった時だと強く思います。